立岩真也『私的所有論』(勁草書房・1997)

P248
「このように、あるものを個人へと吸収させつつ、しかも一方でその改変へとキョウ導する、またあるものについてはその人から切り放す、しかもその各々、またその境界が予め与えられていないために可変的である、こういう社会が存在している。まず、個人は何もかもの始まりとして位置づけられるのだが、それと同時に、さまざまな因果関係のもとに捉えられる。」「あなたのしたことは結局あなたのことですよ、と言う、あなたが責任をとることですよ、と言い、事実ことはそう進んでいく。」
「だからこの社会は、個々の存在に大きな負荷をかけている社会である。」


P427
「現実に生じるだろうさまざまな徒労を、何かができなかった私への悔恨として屈曲させず、他者が他者として生きることの方へ差し向けていければ、押し潰されずに、私も、その他者も生きていくことができるはずだ。」